2011年2月6日日曜日

羊をめぐる冒険  村上春樹

羊をめぐる冒険

超長い引用。

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「どうして船には名前があって、飛行機には名前がないんだろう?」と僕は運転手に訊ねた。
「どうして971便とか326便というだけで、『すずらん号』とか『ひなぎく号』とかいう個別の名前がついてないんだろう?」
「きっと船に比べて数が多すぎるんですよ。マス・プロダクトだし」
「そうかな?船だって結構マス・プロダクトだし、数も飛行機より多いよ」
「しかし」と言って運転手は何秒か黙った。「現実問題として都バスにいちいち名前をつけるわけにもいきませんからねえ」
「都バスにひとつひとつ名前がついていたら素敵だと思うけどな」とガール・フレンドが言った。
「しかしそうなると乗客が選り好みをするようになるのではないでしょうか?たとえば新宿から千駄ケ谷まで行くのに、『かもしか号』なら乗るけど『らば号』なら乗らないとかしと運転手が言った。
「どう思う?」と僕はガール・フレンドに訊ねてみた。
「たしかに『らば号』なら乗らないわね」と彼女は言った。
「でもそれじゃ『らば号』の運転手が可哀そうです」と運転手が運転手的な発言をした。
「『らば号』の運転手に罪はありません」
「そうだよ」と僕は言った。
「そうね」と彼女は言った。「でも『かもしか号』に乗るわ」
「ほらね」と運転手は言った。「そういうことなんです。船に名前がついているのは、マス・プロダクトされる以前からそれに慣れ親しんできた名残りです。原理的には馬に名前をうけるのと同じですね。だから馬的に使われている飛行機にはちゃんと名前がついています。たとえば『スピリッツ・オブ・セントルイス』とか、『エノラ・ゲイ』とかね。ちゃんと意識の交流があるんです」
「ということは生命というコンセプトが根本にあるということだね」
「そうです」
「じゃあ目的性というのは名前にとっては二義的な要素なんだね?」
「そうです。目的性だけなら番号で済みます。アウシュヴィツでユダヤ人がやられたみたいにね。

「なるほど」と僕は言った。「しかしさ、もし名前の根本が生命の意識交流作業にあるとしたらだよ。どうして駅や公園や野球場には名前がついているんだろう?生命体じゃないのにさ」
「だって駅に名前がなきゃ困るじゃありませんか」
「だから目的的ではなく原理的に説明してほしいんだ」
運転手は真剣に考え込んで、信号が青に変ったのを見落した。後ろにつけたキャンピング・カー仕立てのハイ・エースが「荒野の七人」のイントロをもじったホーンを鳴らした。
「互換性がないからではないでしょうか。たとえば新宿駅はひとつしかありませんし、渋谷駅と取りかえるわけにはいきませんしね。互換性がないこととマス・プロダクトじゃないこと。この二点でいかがでしょうか?」運転手が言った。
「新宿駅が江古田にあると楽しいけど」とガール・フレンドが言った。
「新宿駅が江古田にあれば、それは江古田駅です」と運転手が反論した。
「でも小田急線も一緒についてくるのよ」と彼女が言った。
「話をもとに戻そう」と僕は言った。「もし駅に互換性があったらどうする?もしもだよ、もし国電の駅が全部マス・プロダクトの折りたたみ式で新宿駅と東京駅がそっくり交換できるとしたら?」
「簡単です。新宿にあればそれは新宿駅で、東京にあれば、それは東京駅ですし」
「じゃあそれは物体についた名前ではなく、役割についた名前ということになるね。それは目的性じゃないの?」
運転手は黙った。しかし今回の沈黙はそれほど長くは続かなかった。
「私はふと思うのですが」と運転手は言った。「我々はそのようなものに対してもう少し暖かい目を注いでやるべきではないでしょうか?」
「というと?」
つまり街やら公園やら通りやら駅やら野球場やら映画館やらにはみんな名前がついてますね。彼らは地上にに固定された代償として名前を与えられたのです」
新説だった。
「じゃあ」と僕は言った。「たとえば僕が意識を完全に放棄してどこかにきちんと固定化されたとしたら、僕にも立派な名前がつくんだろうか?」
運転手はパックミラーの中の僕の顔をちらりと見た。どこかに罠がしかけられているんじゃないだろうかといった疑わしそうな目つきだった。「固定化といいますと?」
「つまり冷凍されちゃうとか、そういうことだよ。眠れる森の美女みたいにさ」
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原理的に考えたいよねって思うといつも読み返す部分。
ほんをさがすのめんどくさいのでここに置いとく!
今年はさらに備忘録的にこんな使い方にしようかなー