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山川も梶原も仙道的。
こいつがいればなんとかしてくれると周囲を期待させるなにかを持っている。
山川大蔵とかやっぱりいいわー
もてないところとかまじ共感する。
しかも、その言い訳に「それじゃうそつきじゃん」とか思考回路がすごくいい。
山川大蔵が佐賀で敗走して梶原の気持ちが始めて理解できるとかもまじいい。
不器用さをよいと感じるのは自己正当化?
ていうかこのまえ飲み会で高校の友達と話してた、
「(親兄弟を殺されたのに)薩長のひとたちの中で戦争後に尽力をつくしたひととか、薩摩に嫁に行ったひととか、なにを思っていたのだろうか。どうやってその苦悩を越えたのか。」という問いの答えがちょこっと書いてあった。
もちろん、吹っ切れるわけではなく、悩み苦しんでいる。
くじけそうにもなる。
そうだよねー
というわけで親兄弟をころされたわけでもないわれわれは全然越えられるはずだし、やはり一度萩あたりに行かなければ。
なにかを越えるというよりも、
前段階として歴史をしらなければいけないと今は思う。
【備忘】
・山川は一瞬でその場を支配した。場内に蔓延していた絶望感は一層され、会津は活気を取り戻した。
・めったに表情の動かない大久保の口角が、見逃すほどわずかに上がった。
・(俺としたことが情けない。女が笑うとそんなに嬉しいか?・・・・まあ、嬉しいはな。「女」が「喜ぶ」と書いて「嬉しい」と読むくらいだ)
・大量失業者を国家は抱えた。ことに薩摩はその数が尋常ではない。武備充実を図りすぎた薩摩は、他藩に比べて武士の数が異様に多い。
・「おんしがまず中央に出て、会津の山川はここにありとその名を示したまえ。山川君が立ち上がれば、会津の有志はおんし目指して東京へ来る。その者たちを引き上げたまえ」
・「陸軍省は宿敵薩長の跋扈する魔窟に等しい。我らが山川浩が、化け物どもの住処に果敢に乗り込むぞ。山川殿の前途を祝せ」
・「会津戦争は会津に非はないぞ。会津は国賊じゃない。そう喉が破れて血を吐くまで叫んでも誰も耳を傾けてくれないじゃないか。もうそんなことを言っている時代じゃないと、誰もが簡単に口にする。いつの日か名誉挽回するのだと国に仕えたが、本当にこれで挽回できるのか。いつも疑問だった。これでいいのかと。起てば今度こそ国賊になる。愚かなことだ。だが、心情には一番適ったやり方だ。わたしはいつも、悔しかった」
・山川は目を閉じてしまった。こころが揺らぐときは、こうして落ち着くまで目を閉じるのが癖である。動揺しているときにみだりに言葉を発してはならないというのは、義兄だった梶原の教えだ。山川はもともと気性の荒い男だが、ほんの親しいもの以外には穏やかな性格と評されがちなのは、少し間を開けて気持ちをやり過ごす癖があるからだ。
・このとき、意外なことが起こった。官軍の到来に気づいた村民が競って船を出し、兵士の運搬の手伝いを始めたではないか。この光景は激しく山川をざわめつかせた。会津戦争では多くの村民が、会津の敵となって官軍の道案内を努めた。(「官軍」になるとは、こういこうとなのか)
・秘書として山川につき従っている柴四朗は、この不遇に驚いていたが、山川はもう慣れていた。焦らなくても戦況が難しくなれば呼んでもらえる。
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